2011年3月11日
東北沖地震
その日はディズニーシーにいた。
当時付き合っていた元彼とだった。
3月10日はディズニーランド
3月11日はディズニーシーの予定だった。
その頃は『方位取り』というものに
ハマっていて、いまもやっているのだけど
当時はもっとハマっていた笑
3/10は年月日と方位の揃う日で
検見川に午前中方位取りにいってから
午後からディズニーの予定だった。
(今ならしない方位取りだった。)
午後からディズニーを満喫して
近所のホテルに一泊して
翌日はディズニーシーだった。
3月11日の朝
とてつもなく晴天で
ホテルの最上階の露天風呂に二人で入りながら
元彼が
『今日はいい一日になりそうだね!』
って言ってたのをいまでも
鮮明に覚えている。
ディズニーシーに入って
すぐにファストパスをとり
何時間か経過してまたファストパスをとり
午後は楽しく過ごそうと
思っていた矢先だった。
アラジンのアトラクションの近くに
噴水があってそこから水が溢れだしていた。
上で子供がいたずらでも
してるのだろうかと階段を上がると
目の前にセンターオブジアースが見えた。
するとなんだかぐらぐら揺れている
ような気がした。
「すごいなディズニーはこんな
演出までするのか。噴火をイメージ
してるのかな」
と一瞬思った。
目の前にいた女の子たちが
何人か「キャアッ!!」と言って
倒れかけた。
これはおかしいぞと思った。
するとアナウンスが流れて
『福島あたりで大きい地震がおきて
アトラクションの復旧を待つように』
というものだった。
その時はどのぐらいの規模か
わからず、ま、いっかと次に行くことに
した。
すると、もう一度大きい揺れがあった。
またアナウンスだ。
わしは
ああ、これはもうダメだな.帰ろうと
思って、彼氏に
状況がひどくなる前に帰ろうと言った。
ところがすでに園の周りは液状化が
進んでいて、外には出られないという
判断だった。
仕方なく、指示に従って
寒さを凌ぎながら待機した。
非常用の水や
暖をとるためにダンボールやビニール袋が
くばられ
時折、キャラクターがあらわれて
大丈夫だよーと言った感じで
みんなを励ましていた。
地震から数時間経過して
車で来ている人は駐車場へ
行って大丈夫というアナウンスが流れた。
車内で暖をとるためだ。
電車できた人たちは
まだまだ外に出られない。
18:00頃にやっと
18:30頃に外に出られます的な
アナウンスが流れて
その時間を目指して出口へ向かった。
その時間に出口にいたのは
わしら二人と50代ぐらいの夫婦と
二組だけだった。
みんなはまだアトラクションが
復活するのでは?とか
身動きを取れずにいたのだろうと思った。
食事が食べられないため
ディズニーがポップコーンやお菓子を
無料で配布して
取りに行けない老人や子供を抱えた人たちに
女子高生が配って歩いたと言う
微笑ましい話もあった。
わしらはとりあえずシーをでて
電車が動くのではないかと舞浜駅に向かった。
もちろん全く動かなかった。
インフォメーションセンター的なところが
開いていて、そこは暖房がきいていたので
そこで暖をとることにした。
めちゃくちゃ寒かったので
生き返る思いだった。
1番近いコンビニを探して
買いに行くもみんな考えることは
同じで何もなかった。
携帯の充電も切れそうで
充電できそうな場所を探したけどダメだった。
彼氏を置いてきた場所に戻ると
自分たちしかいなかった場所が
ギュウギュウだった。
みんなに場所をあけてあげよ
と言って、二人で外にでた。
元彼は
『なんでこんな目に遭わないといけないのか』
と言ってた。
みんなきっとそう思っていた。
朝はいい一日になりそうと言ってたのに。
人生って感じだった。
それからホテルを探しに
新浦安が1番大きい街っぽかったので
歩いた。
約一時間。
やはりどこも満室だった。
すると奇跡的に
一回だけ東西線が動くことになった。
当時、彼氏は十条に住んでいて
とりあえず高田馬場までいけるとなった。
都心ももちろん電車は止まっている。
とりあえず十条まで歩こうか、となって
歩いていたら。
たまたま池袋あたりの裏道で
一台の空車のタクシーが。
タクシーもほんとに空車がなくて
全滅な日だった。
もちろん道は渋滞していて
いくらかかるかどれくらいかかるかも
わからない。
けど寒いのと荷物があるのと
疲労で、そんなのは仕方ないと思った。
たまたまタクシーの運転手さんが
めっちゃ道に詳しい人で
少し遠回りだけど混んでない道を
いきます。
と言って、あっという間に
十条についた。
何時に着いたか忘れてしまったけど
その日のうちにディズニーから十条に
帰れたのは奇跡だったと思う。
あの日は本当にいろんなことが
あった日だったと思う。
直接被害に遭われた方は
残念だったと思うけど
いろんなところでいろんな被害が
あったろうと思う。
あれから12年。
2回ぐらい被災地を訪れたものの
軽はずみな気持ちで行ってはいけないと
現実逃避をしてきた。
訪れたい気持ちもありつつ
苦しくなってしまうのではという
臆病な気持ちがある。
いろんなことを乗り越えて
生きてる人たちがきっと
たくさんいるんだろうと思う。
無関心な人は無関心でいいし
わしのように関心があっても
何もしてない人は結局、無関心な人と
一緒で。
口では黙祷とかいいながら
黙祷はしたものの結局のところ
自分には関係ないと思ってしまう
部分があった。
たまたま近い人が
あの震災で亡くなったりしたことで
なんとか気持ちがあの震災に
あるといったぐらいだ。
YahooやLINEを検索すれば
寄付にまわる。
自分が今日の午後にしたときは
490万人で現在は(18:09)
913万人。
個人的にはめっちゃ少ないと思うんだけど
そんなもんなんかね。
まあ人にはいろんな考えがありますしね。
せっかく震災で色々
教えてくれたので
非常食を用意したり、緊急事の逃げ方とか
調べたりするといいかもですね。
地震は忘れた頃にやってきます。
注意しときましょう!