ゲイスピダイアリー

怪しくないです。

【誰かのために-ゲイスピダイアリーvol.92】

生きていると

なんのために生きてるのだろうと思う。

 

北野たけし(ビートたけし)は

 

今の若い世代(現在の32-50歳くらい)は

生きる意味について考えさせられ

すぎている。

それは大人たちがいつの間にか

植え付けた、生きていくには

何かをしなければいけないと。

 

誰だって

自分のために生きたいと思っていると思う。

 

風の時代に入って

土の時代に主流だった

『苦労して誰かのために生きる時代』から

『自分のやりたいことをやって楽に生きる時代』に変わった。

 

まだまだ変化段階でその狭間の時代である。

 

ディズニーの「アラジン」で

三つの願いを叶えられる。

 

わしはまず一つ目に

親の病気を治して欲しいと

願うと思うのだけど

 

それだったら

 

『なんでも治せるお医者さん(魔法使い?)

にして欲しい』と願えば

いろんな人も助けられるし

お金も儲けられる気がしている。笑

 

二つ目三つ目は

ゆっくり考えたいところだけど

 

三つ目で『ジーニーを自由に』

 

って言うのは

なかなかできないことではないかと思う。

 

アラジンしゅごい。

 

人はみんな自分が可愛くて

 

自分が困ってる時は助けて欲しいと

相談してくるくせに

用済みになると何事もなかったかの

ように過ごしている。

 

とりあえずお礼しとけばいい。的な。

 

与えてもらうばかりで

人に与えない人たちのことを

 

『クレクレ君』という。

 

くれくれー!くれくれー!!って。

 

蜘蛛の糸でいう

地獄から一緒に登ってくるような人たち。

 

例えるならば

 

今度パーティやるんできてください!

って言われて行っても

こっちのパーティには来ないっていう!

 

お前は来ないんかい!ってね。

 

まあわしは大人なんで

そんな、せこいこと思いませんけどね。

 

でもそういう時は

 

自分も同じことをしちゃってないかを

考える。

 

くれくれくれくれ。言ってないかな。

与えてるつもりで、実はもらってるだけ

なんじゃないかと。

 

わしが人生において

わりと大事にしていることは

 

『常に変わらないこと』だ。

 

裏表があったり

媚びへつらうことがあまり好きではない。

あまりというか全然好きじゃない。

 

全くもって水商売には不向きだ。

 

嫌なものは嫌だ。笑

 

『大人になれよ、三井』ってね。

 

こぐれきゅぅぅーーーん!

 

我慢することが大人なのか。

まあそうか。それはそうなんだろうな。

 

じゃあ、我慢できない大人は

子供なのかね。

 

わしは映画『怪物』をみてなんというか

「賞をとるための映画を作った」ように

思えてしまって、なんだかしっくり来なかった。

 

『ドライブ・マイ・カー』はとても良かった。

 

好きな人は好きだろうし

わからなかった人はわからなかっただろうし

 

けど、批判するのって簡単で

その裏側には死ぬほど頑張った人たちが

いることを忘れてはいけなかったなと思う。

 

つまらなかった。

わしには合わなかった。

 

言うのは簡単。

 

食べ物にしても

 

これまずい。

これ美味しい。

 

スピリチュアル界では

 

食べ物を大切に

命に感謝しましょうって

言ってるくせに

 

まずいとか思ったら

食べ物に失礼だよなって思ってしまう。

 

けれど、まずいものはまずい。

食べたくないと思ってしまうのも事実。

 

けど、それを食べるのが

大人なんだろうと思う。

 

自分が食べないにしても

お土産にして誰かにあげるとか。

いろんなことを『考える』力を

持つのが大人なんだろうと思う。

 

つまんなかった

楽しくなかった

まずかった

 

批判するのは簡単で

その声が集まれば大きな力になる。

 

SNSに書くのは簡単だし

こういう文章を自由に書ける場所は

たくさんあって

 

きもい

うざい

 

などもいくらでもかける。

 

誰かが叩きやすいことを書けば

こぞってそれに賛同して

 

わかるわかるー!って。

 

飽きたら次の話題へ

わかるわかるー!って。

 

以前にも書いたけど

火事場の野次馬みたいなものだ。

 

想像してね。

 

自分の家が燃えてて

家族が燃えてるかもしれなくて

 

それをただ、興味本位だけで

見にきた人たちが家を囲んでたら

やじゃないかな?

 

わしだったら言うかも。

 

「こっち見んなー!!!」

 

って。

 

そうやって自分だけの行為だと

思ってることが実は集まって

いろんな作用を起こしてるかもしれない。

 

それは

 

言葉や文章もそうだし

ネグレクト(無視)も同じだ。

 

『何かをすることも

何かをしないことも』

 

力になってしまう可能性はある。

 

誰かのために生きるってことは

なにもしないことも誰かのために

なってるんじゃないかと思う。

 

ためにっていうと

良いイメージになってしまうが。

 

可愛い子には旅をさせろと言ってもんで

してあげるだけが親じゃないんだろうと

思う。

 

要はまとめると

 

『何か起きたことに対して

いちいち反応しなくていいんじゃない?』

 

ってことが言いたかったのでした。

 

物事には『起こり』ってのがあって

何かがあれば何かが起きるように

なってる。

 

だからSNSもそうだし

コメントとかを、書き込めるのも

良し悪しだなーと思った。

 

悪しのが多いか?

どうだ?

わからんけど。

 

もちろん励まされたりする人も

たくさんいるんだろうけどね。

 

悲しい人もきっとたくさんいて

 

良いことだけ書いて

悲しいことは書けないように

できたらいいんだろうけどね。

 

文章の投稿から公開まで

48時間とかのラグをとって

その間に公開していい文章か

判断してくれるAIみたいの

作れたりしないんかね。

 

けど

 

京都風みたいな人が現れたら

AIも困っちゃうのかな。

 

ほんま素晴らしいどすなぁぁぁ(悪口)

 

は、通過しちゃうもんね笑

 

あー難しい難しい。

いや難しくないのかぁぁ。

 

考えてもわからないことは

考えても仕方ないし

何も考えないで生きることも

きっと大事。

 

でも考えなきゃいけないことは

真剣に考えなきゃいけないと

思いました。

 

こういうこと言ったら

みんなどう思うかなとか。

 

自由な時代ではあるけれど

やっぱり人の気持ちは大切に

したいと思いました。

 

かしこ

 

暑い日が続きます。

ほんとに気をつけてお過ごしくださいです。

 

P.s.開運アクション(7/13

 

『情報を遮断する』

 

です。