効率主義な自分は
あとで無駄だったなと思うことが嫌で
人生にとって必要のなさそうなことは
しないようにしている。
それは現段階でそう思うだけで
実際、あとあとになってとても重要なことに
なるかもしれないわけだが
未来のことはわからないので
現段階での自分自身の判断を信用する
しかない。
その最たる例は
「恋愛」でどうせ確率的にいって
長くて、あと二、三年で終わることに
一喜一憂をしていることをみると
将来、後悔しないのかな?と思ってしまう。
幸せな時期に
SNSに写真を投稿して
別れたら消すを繰り返して
自分でなにやってんだろうと
思わないのか不思議になる。
(該当者の方いたらすみません。笑
別にそれも意味があることだと思います。)
あの、ろくでもない彼氏にさいた
土日の休みを
わしだったら家族や友達との
旅行に費やした方がよかったんじゃないか
とか、思ってしまうのではないか。
ところが
今、人生を振りかえってみて
自分にとっての分岐点は
いつだったかを考えてみた。
物心ついてからの選択といえば
高校からで
高校を選択することが
最初の分岐点だったように思う。
神童だったため
地域の学校の最難関校に行かなければ
だめたと言われたのだけど
試験勉強をするのが嫌で
内申だけで受かる学校に
ランクを二つ下げた。
それでも進学校でほぼ100%の
進学率だった。
わしは当時は進学するつもりもなく
板前になる予定だったので
全く勉強せず常に成績は体育と音楽美術が
5以外オール2だった。
担任にもバスケ顧問にも呆れられ
別に進学する気ないからと
言って過ごしていました。
ところが
高3になって
みんな部活を引退すると
一気に受験勉強モード。
同じクラスの超すきぴが
「学習院大学に行きたい」と言うので
じゃあわしも学習院大学に行こうと思い
けどそれじゃあ、なんかつまらんと思って
高田馬場に住む祖父が
わしに会いたいがために
「W大学に行って政治家になれ」と
ずっと言われてたので
政治家にはなりたくないけど
まあ、その大学に行くぐらいなら
おじいちゃん孝行になるかなと思って
受験した。
高校の先生たちは
オール2のわしの合格を奇跡
と呼んだけれど
何校も受かってるし
神童のわしとして驚くことでもなかった。
K大の経済学部は信じられないほど
試験が簡単で
昼休憩のときに友人と
『まじ簡単だったねぇぇ。
センターのが難しかったねぇ』
って言ってしまって
今思えば、すごい嫌なやつだったと
反省しています。
あの時はごめんなさい。
(もちろん、受かりました)
そこでW大学かK大学の選択に
迫られました。
当時、すでに新宿2丁目でアルバイトしてたので、まあWのが行きやすいし
おじいちゃんの願いでもあったので
W大学を選択。
その後、あるゲイバーで働くことを選択。
そこで働いていたら
22歳の時に
『水商売舐めてんだろ』と上司に言われ
酔っていたわしは
「じゃあやってやろうじゃねーかよ」
と言って
23歳でお店を出すことに。
これに関しては死ぬほど後悔していて
猛烈に後悔してはいるけれど
今、出会えてる
全ての人たちは
ほとんどそれから出会った人たちなので
後悔もあるけれど
あの日あれがなかったら今はないと思うと
感慨深いです。
それからわりと人生に対して
慎重になって
恋愛も色んな選択も
失敗のないように
後悔のないように
無難にするようになってしまいました。
だから
恋愛に一喜一憂してる人をみると
無駄だなと思う反面、
感情的に生きられて羨ましい気持ちで
いっぱいになります。
そして
『水商売舐めんてんだろ』の
一言がわしの人生を変えたように
たった10日間の恋愛でも
人生を変える可能性があることも
否定できません。
人生なにが引き金になるかわかりません。
何千、何万分の1のなにかが
人生を変えるかもしれません。
だから
わしと出会った人に後悔がないように
少しでも出会った人のためになるように
人生を変えるようなことは
少し責任を感じて怖いけれど
わしと出会ってよかったなと
思ってもらえたら嬉しいです。
あの日あの時
あの出会いやあの言葉がなかったら。
良い出会いだったと思える人生に
したいし、してほしいと思います。
これからも少しずつ
➕を送れますように。
40歳でも頑張れるんだなーって
思ってもらえるように。
さて、
10/10(火)
開運アクションは
10:10 10秒に
願いをことを考える。
貯蓄の見直しをする
冷蔵庫の掃除
普段行かないスーパーにいく
開運フードは
牛肉
にんにく
オレンジジュース
です。
今日も良い一日を!!